9月2日(水)「ノスタルジア」

ノスタルジア」('83・伊)監督・脚本:アンドレイ・タルコフスキ− 脚本:トニ−ノ・グエッラ 撮影:ジュゼッペ・ランチ 出演:オ−レグ・ヤンコフスキ−/エルランド・ヨセフソン/ドミツィアナ・ジョルダ−ノ/パトリツィア・テレ−ノ/ミレナ・ヴコティッチ
ソ連を離れ“亡命者”となったタルコフスキーの初の異国での作品であり、祖国を失ってさまよう彼の心情が如実に出た、哀しく重厚で、イマジネーションに溢れた映像詩。主人公を彼と同じく国を追われた詩人とし、彼が不治の病に犯されながらイタリアで放浪を続け、故郷への想いや死への畏れ、実存的苦悩に囚われるさまを、独特の湿気にすべてがおぼろになるような映像でゆったりと綴っている。催眠効果は抜群だが、寝てしまっては勿体ない(それも快いのだけども、そうなっても、臆せずもう一度観ましょう)。ソ連が泡沫と消えても、世界中のどこかで同じ痛みが孤独に味わわれている限り、本作を観ることは無駄ではない。旅の果て、主人公アンドレイは寒村の湯治場にたどりつき、そこで狂人扱いされている老人ドメニコに出会う。彼はアンドレイに“ロウソクの火を消さずに広場を渡るように”と謎めいた依頼をする。それが“世界の救済”に結びつく、と言うのだ。そしてドメニコはローマの騎馬像の上で、平和に関する演説をぶち、焼身自殺を図る。と場面は、アンドレイがロウソクの炎を、吹きすさぶ風から必死に守りながら幾度となく、ぬかるむ広場の横断を試みる様子に切り替わる。そして、遂に渡り切ろうという時、篠つく雨は雪に変わり…。他の多くの亡命芸術家と違い、国を棄てることなく愛し続けたゆえに、魂の越境者にされてしまったタルコフスキーが、今生きていれば、“崩壊”後の世界とどのように格闘したろう。近年のミハルコフの如才ない愚作あたりを見、この映画を思い起こすにつけ、そう思う。<allcinema>

◎先代の八代目林屋正蔵(後の彦六)だったと記憶するが、出囃子に送られて座布団に座ってさて、何やらブツブツつぶやき始める・・・。それが何を言っているのか聞き取れないのでそれまでざわざわしていた場内が次第に静まってきて、正蔵師のボソボソが巧まざるユ−モアに裏打ちされたマクラであることが聞き取れるようになる。そうなれば聴衆は一気に彦六ワ−ルドに遊ばされることになるのだった。それと同じことをこの作品を見ながら感じていた。画面は実に不親切にも暗く湿った映像の羅列が延々と続くのだが、一旦見入ってしまうともう目を離すことが出来なくなり、何やら知れぬ悶々とした作家の独白に付き合わざるを得なくさせられる。それが退屈ではなく何とも不思議で静かな興奮を身内に起こさせていることに気付きながら、この長い物語を最後まで眠らずに見終えることが出来たのだった。呑気呆亭