8月22日(土)「ブレ−ド・ランナ−」

「ブレ−ド・ランナ−」('82・米)監督:リドリ−・スコット 原作:フィリップ・K・ディック 脚本:ハンプトン・ファンチャ−/デヴィッド・ピ−プルズ 撮影:ジョ−ダン・クロ−ネンウエス 特撮:ダグラス・トランブル/リチャ−ド・ユリシック/デヴィッド・ドライヤ− 美術:シド・ミ−ド 音楽:ヴァンゲリス 出演:ハリソン・フォード/ショ−ン・ヤング/ルトガ−・ハウア−/ダリル・ハンナ/ブライアン・ジェ−ムズ/ジョアンナ・キャシディ/ウイリアム・サンダ−ソン/ジョ−・タ−ケル
★植民惑星から4体の人造人間=レプリカントが脱走した。彼らの捕獲を依頼された“ブレードランナーデッカードは、地球に潜入したレプリカントたちを追うが……。近未来を舞台にしたSFサスペンスで、その卓越した近未来描写により、多くのファンを持つカルト作品。P・K・ディック原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のもつ現実と夢の混交はもちろん、シチュエーションからくるアクション性よりも、主演のフォードを喰う存在感を見せつけた、ハウアー扮するレプリカントの最後の独白が更に強い印象を残す。10年後に、スコット自ら手を入れた「ディレクターズカット/ブレードランナー 最終版」が公開。<allcinema>
★監督のスコット、美術のミ−ド、SFXのトランブルと、現在のSF映画を代表する3人が、鮮烈なイメ−ジで創造した2020年の世界。21世紀の巨大都市は、数百階の超高層ビルがひしめきたち、酸を含んだ雨が絶えず降り続くため、上空も地上もうっとうしい薄暗い闇に包まれ、巨大でけばけばしいネオンサインが無意味に街を照らしていた。(ぴあ・CINEMA CLUB)

◎この映画に決定的な影響を受けた大友克洋の「AKIRA」の公開が'88年、そしてその舞台は第三次世界大戦後の2019年「TOKYO」、翌年にオリンピック開催を控えている。この作品の舞台はやはり同じ2019年の「ロサンジェルス」、原作では死の灰だが映画では酸性雨が降り注ぐ街。初見は劇場版だが、以来VHS版で見て、DVD版で見て、今回はブル−レイの「THE FINAL CUT」で見た。さすがにBRの映像は鮮明でデッカードレプリカントを追って彷徨い歩く煙霧にけぶる街の景色は、物語そっちのけでその克明な細部(に神あり)をそれこそ舐めるように見入ってしまい、見る度に感じることなのだが“ああ、この景色の中に我が身を置きたい”と思ってしまうのだった。その思いとはこの目で「人類の終焉」に立ち会いたいということなので、それゆえに次々に滅びて行くレプリカントたちのそれぞれに美しく残酷な最期に胸を打たれ、ラストのロイ・バティ(ハウア−)の我ら卑小なニンゲンにはけっして語ることの出来ない壮大なビジョンに満ちた遺言に我が身の存在の依って立つ基盤の貧弱さを思い知らされ、それこそ己がレプリカントであることを知ることよりも強烈なショックを受けたのだった。傑作です。これ以前にも以後にもこの映画を超える作品(SFだけではない)は現れないだろうと断言します。呑気呆亭

◎これまでに観た映画の中で聞いた最も壮大で悲愴な科白といえば、『ブレードランナー』のラスト・シーンで、ルトガー・ハウアー演ずるレプリカントのロイ・バティが、死に臨んで語った言葉である。遺伝子工学の天才タイレル博士により造り出されたネクサス六型ロボットである彼は、文字通り人間のレプリカとして過酷な奴隷労働に耐え得る強靱な肉体と父なる創造者タイレル博士の知力を兼ね備えた言わばスーパーマンなのだが、予め叛乱への安全装置として遺伝子に四年の寿命を組み込まれている。
そのことを知ったロイは三人の仲間と共に宇宙船を乗っ取り延命策をタイレル博士に質すために地球に帰還する。
叛乱分子を処理する特別捜査官ブレードランナーデッカード(ハリソン・フォード)によって既に三人の仲間は殺され、延命策などないと宣告する生みの親タイレル博士を殺したロイは、デッカードに闘いを挑み圧倒的な強さで翻弄し追い詰める。だがその彼に死期が迫る。ブレードランナーとしての自信も人間としての誇りも微塵に砕かれて死の予感に怯えるデッカードを前に、迫り来る細胞の死滅を強烈な意思の力で押しやりながらロイは語る。
「オレはこの眼でお前たち人間が信じられないようなものを見て来た…オリオン座のかたわらで爆発炎上する宇宙船を…タンホイザー・ゲートのCビームのオーロラを…そういう思い出もやがて消える。時が来れば、雨に打たれる涙のように……その時が来た…」
語り終え、うなだれて息絶えた彼の左手からまるでその魂を象徴するかのような白鳩が天上に向けて飛び立つ。その不条理な生を今度は造物主に質しに往くかのように。