7月9日(木)「ブラック・レイン」

ブラック・レイン」('89・米)監督:リドリ−・スコット 脚本:クレイグ・ボロティン/ウオ−レン・ルイス 撮影:ジャン・デ・ボン 音楽:ハンス・ジマ− 出演:マイケル・ダグラス/アンディ・ガルシア/高倉健/松田優作/ケ−ト・キャプシ−/若山富三郎/神山繁/内田裕也
★「エイリアン」「ブレ−ド・ランナ−」の鬼才R・スコットが、巨額の製作費(約59億)をかけ、M・ダグラスと高倉健の初競演と、アメリカ映画初の大坂ロケを実現させた入魂の力作。外国人が捉えた、大阪・歓楽街のネオンのきらめきと喧噪が妙。“バタ臭く”、いつもとはひと味違う“大阪”が興味深い。(ぴあ・CINEMA CLUB)
★レストランで偶然にヤクザの殺人に出くわしたニック(ダグラス)とチャーリー(ガルシア)両刑事は、その犯人佐藤(松田)を日本に護送するが、大阪空港で逃げられてしまう。府警の松本(高倉)の監視下、警官としての権限の無いまま捜査を見守る彼らだったが、佐藤はそれを嘲笑うかの如く、自ら刺客となって二人の前に現れるのだった。ロケ地日本の対応の悪さなどプロダクションの混乱でその腕を思う存分に振えなかったのか、意外や「ブレードランナー」の故郷を舞台にしながらスコット色の薄い作品となった。しかし、何を語るより前に、日本人にとっては、松田優作の(映画での)遺作として記憶されてしまった。ハリウッド製のフィルムの中、ビリング(クレジットの順)などあって無いが如く、彼は映画を自分のスタンスに引き寄せ、存在感を見せつけるのである。謗りを恐れず言うなら、これは彼の映画である。その雄姿に無限の可能性を再確認した者は納得するはずだ。だからこそ、その喪失感は大きい。我々は、偉大な一歩、あまりにも大きな才能を喪なってしまったのだと。グレッグ・オールマンのエンディングテーマが熱く哀しい。まるで、彼の死を予感していたかの如く。追悼のための歌の如く。<allcinema>

◎冒頭、バイクでニュ−ヨ−ク(?)の街を走るニック(ダグラス)を延々とキャメラが追う。まるで'54年の「乱暴者」の暴走族マ−ロン・ブランドをパクッたような出現ぶりで、こいつが刑事であったことが明かされると、こりゃあただの刑事じゃあなかろうと観客は納得させられる。その暴走刑事と日本の戦後が生んだアプレゲ−ルのヤクザ佐藤(松田)が出会う。その二人の対比の面白さを媒介するキャラクタ−としてくそ真面目な府警の松本(高倉)と普通人の明るさをもつニックの同僚のチャーリー(ガルシア)が配置される。その舞台がニュ−ヨ−クから我々が見たことのない都市オオサカに移って行き、リドリ−・スコット得意の無国籍映像が展開される。そこでも重要な役割を果たすのがバイクであって、さいごの松田とニックの決闘もバイクでの気違いじみたバトルから始まる。ここにおけるバイクとはその無防備さゆえに剥き出しの危ういキャラクタ−を象徴するものとしてこの作品の全編を走り抜けるかのようだ。呑気呆亭