1月8日(木)「希望」

「希望」('70・トルコ)監督・脚本:ユルマズ・ギュネイ 撮影:カヤ・エレズ 音楽:アリフ・エルキン 出演:ユルマズ・ギュネイ/ギュルセン・アルヌアチェ
★トルコの大スター、ギュネイが全財産を注ぎ込み初めて監督を(製作・脚本も)兼ね主演した入魂の一作。ネオ・レアリスモや初期の黒澤なども彷彿とさせる、力強い生活描写と詩的モチーフが混然一体となった映画で、有体に言えばサタジット・レイ作品に極似しているのだが、それよりも、もっとダイレクトに観る者の心を掴んで離さない、他の無名のインド映画にずっと近い。
生活苦に喘ぐ馬丁のジャパルは五人の子沢山。タクシーに気圧されて稼ぎは上がらず、無理をして学校に上げている年長の娘も落第する始末で、妻はヒステリックに嘆く。細かな借金も重んできた。一抹の希望に宝くじを買い続けるが、気休めには手痛い出費だ。そこへ暴走した車に二頭立ての馬車馬の一頭がはねられ死ぬという事故が起き、警察へ行くが、むしろ彼の駐車違反を咎められるだけに終わる。いよいよ困ったジャパルはあちこちに借金を頼むが、誰もがにべもなく断わり、残りの一頭で砂利運びなどするが、それでは焼石に水。家財道具を売り払っても二束三文で、弱り目に祟り目、そこをスリに掏られそうになって気づいた彼の憤懣やる方なさはスリに振う暴力の形で噴出(この場面の怖しさ!)。悪友ハッサンに盗賊を誘われるがそれもうまく行かない。結局、彼の甘言に乗って全財産を、宝を探しあてるという坊さんの占いにつぎ込んだ。何やら呪文を唱えては子供たちに質問をし、宝の在りかを鉢に張った水に見ようとする坊さんの占いはもっともらしく、彼に連れられ大河に赴き、とある橋のそばに立つ枯れ木の下をおもむろに掘り出したジャパルとハッサンだったが、幾日掘っても宝は見つからない。しかし、もう後のないジャパルは諦め切れず、ただ一人狂ったようにシャベルを動かすのだった…。
乾いた風景に厳かな詩情の漂う場面がいくつもあり、俳優ギュネイのカリスマ性にも触れられる傑作。本国トルコでは上映禁止の憂き目に遭ったが、以後、彼は押しも押されもせぬシネアストとなり、度々の不当逮捕と戦いながら逞しくしく映画を作り続けてゆく。<allcinema>

◎前半、馬丁のジャパル一家の生活苦の描写がこれでもかと言うくらいに延々と続いて辟易してしまったのだったが、後半は不毛を絵に描いたような宝探しの場面が、これも延々と続いて、これがトルコという国の体質なのかと呆れかえった。こんなに穴を掘り続ける体力があるのならどんな労働も出来るだろうに、馬丁などという馬に働かせて楽をすることばかり考える男には、そんなマトモな生活は考えることも出来ず、やたら子供を作っては一攫千金を夢みて宝くじを買うことしか能がない。「自転車泥棒」の貧しさ故のサスペンスもない退屈な映画であった。呑気呆亭