9月5日(金)「荒野の用心棒」

「荒野の用心棒」('64・伊)監督・脚本:セルジオ・レオ−ネ 原作:黒澤明/菊島隆三 脚本:ドゥッチオ・テッサリ/ビクトル・A・カテナ/ジェイム・コマス 撮影:ジャック・ダルマス 音楽:エンリコ・モリコ−ネ 出演:クリント・イーストウッド/ジャン・マリア・ボロンテ/マリアンネ・コッホ/ヨゼフ・エッガ−/マルガリ−タ・ロサ−ノ
★二人のボスが対立するニューメキシコの小さな町に現れた凄腕のガンマン。御存じ黒澤明の「用心棒」を西部劇に翻案したマカロニ・ウェスタンの代表作。当時、映画俳優としては鳴かず飛ばずだったイーストウッドを一躍トップスターに押し上げ、監督レオーネ、音楽エンニオ・モリコーネ共に出世作となった。この3人は次作「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」でもトリオを組む。「続・荒野の用心棒」は本作とは何の関係もない。<allcinema>

黒澤明の「用心棒」のプロロ−グは、砂ぼこりの舞う宿場をヒトの腕を咥えた犬がトコトコ歩いてくるという殺風景なものだったが、この映画ではイーストウッドの流れ者ジョ−がマリソル(マリアンネ・コッホ)という尋常ならざる美しさを持つ女と視線を交わすことがプロロ−グとなる。桑畑三十郎(三船)の宿場のヤクザ同士の喧嘩に関わる動機が、金のためではなくましてや社会正義のためではないのは明白で、では虐げられた司葉子の家族のために危ない橋を渡ったのかというと、照れ屋の三十郎にはそんなロマンチックな思いはなさそうだ。一方ジョ−には、あからさまに描かれてはいないがマリソルへの思いがこの「敢えて火中の栗を拾う」行為の底流に据えられていたのだろうと、余りにも冒頭のマリソルのただならぬ印象の強烈さ故に、これは監督レオ−ネがクロサワに向けた仕掛けだったのに違いないと、今回見直して思ったことだった。
決闘シ−ンについて一言いうと、ジョ−の得意とするファニングという技法は、右手で引き金を握ったまま左手で撃鉄を叩いて連射するという行為で、必然銃口が揺れるために銃撃の正確性が失われるので、あなたの決闘時にはお奨め出来ないのだが、この映画に限っては多数を敵に回す(最初は4人、ラストは5人)ということなので認めざるを得ない。それを別にすれば、ラストの1対5の決闘は見応えがあった。ジョ−の45口径には6発の銃弾。対するウインチャスタ−のラモン(ジャン・マリア・ボロンテ)は撃っても撃っても立ち上がってくる化け物じみたジョ−に怯えてライフルの銃弾を撃ち尽してしまう。それと見てゆっくり立ち上がったジョ−は、仕掛けの胸を覆った鉄板を外して、一瞬のファニングでラモンのライフルを弾き、手下の四人を斃す。残りは一発。その銃弾を酒場のオヤジを吊したロ−プを撃つことに使って、空になった弾倉から一発だけ薬莢を排出して“ライフルと拳銃の弾込め早撃ち勝負”をラモンに挑むのだった。こんな面白い決闘を考えたレオ−ネとイーストウッド(多分?)の機知に拍手を送りたい。勝負は弾倉に銃弾を装填してから、レバ−をアクションさせて薬室に送り込まねばならないラモンと、薬室に一発送り込んでシリンダ―を回転させるだけで発射の準備が出来るコルトとの差は明かで、愛するマリソルを理不尽(?)にもジョ−に奪われ自慢の銃撃戦にも敗れたラモンは、あくまでも鮮烈なメキシコの太陽の下に無念の死を遂げたのだった。呑気呆亭