5月1日(木)「太陽がいっぱい」

太陽がいっぱい」('60・仏=伊)監督・脚本:ルネ・クレマン 原作:パトリシア・ハイスミス 脚本:ポ−ル・シュゴフ 撮影:アンリ・ドカエ 音楽:ニ−ノ・ロ−タ 出演:アラン・ドロン/マリ−・ラフォレ/モ−リス・ロネ
★名匠クレマンが、ハイスミスの原作をもとに映画化した、サスペンスに満ちた青春映画。貧乏なアメリカ青年トムは、金持ちの放蕩息子フィリップを連れ戻してほしいと彼の父親に頼まれ、ナポリにやってくる。金にモノをいわせ女遊びに明け暮れるフィリップを目撃したトムは、怒りとねたみから次第に彼を憎悪するようになる。ついにフィリップを殺したトムは、身分証明書を偽造して彼になりすまし、金と女を手に入れるが・・・。貧乏故に根深い劣等感を持つ内気な美青年を、ドロンがはまり役で快演。鮮烈なラスト・シ−ンのまっ青な海、強烈な太陽の輝きと、陰影あるドロンの美貌のコントラストが見事。ロ−タの主題曲も哀愁感漂い絶妙だ。(ぴあ・CINEMA CLUB)

◎以前劇場で見た時に、映画とはこうしたものかと納得させられたシ−ンがある。物語の筋には直接関係なく挿入されたカットで、死んだフィリップにそれと知らず手紙を書いているマルジュをカフェに残して、フィリップを殺し死体を始末して完全犯罪を成し遂げたという満足感に浸りながら、上着を肩に人で雑踏する市場を彷徨い歩くトムをキャメラが纏わり付くように映し続けるのだが、殺人者となったトムの眼に入ってくるのは路上に転がって目をむく死魚の頭など、何処かシュ−ルな映像ばかりで、それは殺人者トムにとってもう決して平穏な日常があり得ないだろうということを映像によって暗示するかのようであって、震えるような思いでこの数分間のシ−ンに見入ったことを思い出すのである。呑気呆亭