11月20日(水)「夜と霧」

「夜と霧」('55・仏)監督:アラン・レネ 製作:アナト−ル・ド−マン 原作・脚本:ジャン・ケイヨ−ル 撮影:ギスラン・クロケ/サッシャ・ヴィエルニ 音楽:ハンス・アイスラ− ナレ−ション:ミッシェル・ブ−ケ
ホロコーストに関するドキュメンタリーが数あれど、そのいずれも曖昧なものにしてしまうほど、本作の印象は強い。何が優れているか。まず、現在のアウシュビッツ強制収容所の廃墟を映し出すG・クロケとS・ヴィエルニのカメラの冷徹な美しさが違う。厳粛な事実の記録を真っ向にし、その悲しみに負けず拮抗する映像が得も言われぬ緊張感を醸す。抑えたナレーションはミシェル・ブーケ。そのテクスト(J・ケイヨール)はまことに詩的である。そして、何よりも素晴らしいのはH・アイスラーの音楽。特に収容所内での残虐行為のスチールを連ねるクライマックスとも言えるシークェンスで、流れるスコアの玄妙な穏やかさがかえって恐怖をたちのぼらせる迫力はどうだ。この僅か30分ばかりの映画は確実に観る者の人生に少なからぬ影響を与えるだろう。
<allcinema>

◎ニンゲンがこれほどのことをするのか。ニンゲンがこれほどのことをされたのか。目の前に坦々と映し出される映像を直視しながら、ボクラは加害者と被害者とどちらにもなり得るのだと思い知り、ニンゲンであることを引き受けるためにはこれらの映像を直視し受け入れなければならないと思うのだが、これは映画を見るというには余りにも異様な体験である。“アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である”とはアドルノの言葉だが、では、それを映像作品とすること、そしてその作品の前で沈黙することとは、いかなる意味を持つ行為となるのだろうか?呑気呆亭