9月13日(金)「真昼の決闘」

「真昼の決闘=HIGH NOON」('52・米)製作:スタンリ−・クレイマ− 監督:フレッド・ジンネマン 原作:ジョン・W・カニンガム 脚本:カ−ル・フォアマン 撮影:フロイド・クロスビ− 音楽:ディミトリ・ティオムキン 出演:ゲイリ−・ク−パ−/グレ−ス・ケリ−/ト−マス・ミッチェル/ケティ・フラド
★プロデューサー時代のS・クレイマーが製作した西部劇、というよりも西部を舞台にしたリアルな人間ドラマ。1870年、ハドリービルという西部の小さな町。結婚式を挙げたばかりの保安官ウィルの元に、かつて逮捕した無法者の帰還の知らせが入る。様々な思いの末、彼らとの対決を決意するウィルだったが、戦いに否定的な新妻エミーは一人町を去ろうと駅へ向かう。ウィルは協力者を求めて、炎暑の町を歩き回るが、臆病で利己的な住民たちはその門を閉ざす。やがて正午となり、駅に列車が到着、エミーが乗り込むと同時に、ウィルへの復讐を誓う無法者が降り立った……。男の夢の具現化でもある西部劇に、非情な人間関係を盛り込んだ事で毛嫌いする人も少なくないが、そのリアリティ溢れるドラマ運びはやはり面白い。登場人物それぞれの思惑が入り乱れる中、全く普通の男である主人公が孤立無縁となる筋立ては、ヒーロー像を否定しつつもかえってその構図を際立たせるものになっており、娯楽映画としての定石を果たしている。劇中時間と実上映時間をシンクロさせた事も、作品を貫くリアリズムに貢献しており、その実験的発想の勝利であったが、何よりドキュメンタリーの巨匠ロバート・フラハティの元で修行を積んだ、F・ジンネマンのタッチこそが最大の力だ。美しいケリー、逞しいクーパー(二度目のアカデミー主演男優賞受賞)、ピンポイントの名キャスティングも言うことなし。主題曲『ハイヌーン』は余りにも有名。<allcinema>

◎ハドリービルという西部の小さな町、その町にガンベルトを腰にしたいかにも無法者然とした男三人が乗り込んでくる。この平和ボケしたような町には時代錯誤に見える男たちを見送る町の連中の腰にはガンベルトなどは見当たらない。町の役場では今しも和やかな結婚式が執り行われている。この町に平和をもたらした功績者・保安官ウィルと過去に父と兄の命を銃弾に奪われてクエ−カ−教徒となったエミ−の結婚式であった。人々は平和を満喫しそしてやや倦んでいるかに見え、“保安官をやめたら雑貨屋でもやるか”とやや自嘲的につぶやくウィルだが、町の人々はこの硝煙の過去を背負ったカップルをこうして送り出すことでほっとするかのように見える。
その町に激震が走る。7年前に町ぐるみで引っ捕らえ監獄に送り込んだミラ−という無法者が釈放されて復讐のために帰ってくるという報せが入ったのだ。この辺りの描写がじつに丁寧に描かれている。興味深いのは町のホテルのオ−ナ−が呟く“ミラ−のいた頃は町の景気も良かった”の一言であった。平和に倦んで刺激を求める町の連中は保安官ウィルの窮地に救いの手を延べるどころか、協力を要請する彼を嘲笑さえする。彼は真面目な保安官ではあったが好かれてはいなかったのだなと分かる。一番の理解者であったとウィルが思っていたトマス・ミッチェルにさえ“君は戻って来るべきじゃなかった”と言われてしまうのである。孤立無援で戦う彼に手を延べたのは不戦の誓いを掟とするクエ−カ−教徒の妻エミ−だけだった。
ずるくてエゴイスティックな大衆を批判的に描こうとしたジンネマンとクレイマ−の意図は分かるのだが、却ってそのエゴこそがなまじな批判を超越した大衆の本体なのだと町のホテルのオ−ナ−の呟きが教えてくれる。呑気呆亭