8月10日(土)「革命児サパタ」

「革命児サパタ=VIVA ZAPATA」('52・米)監督:エリア・カザン 脚本:ジョン・スタインベック 撮影:ジョ−・マクドナルド 音楽:アレックス・ノ−ス 出演:マ−ロン・ブランド/ジ−ン・ピ−タ−ス/アンソニ−・クイン/ジョゼフ・ワイズマン/マ−ゴ/ミルドレッド・ダンノック
★今、カザン作品を見直すことの驚きはそのヴィジュアル・センスの確かさにある。スタインベックが脚本を手がけた、このメキシコの革命家の物語も、多少もたつきはするが、ラストの凄まじい射殺シーンに象徴されるような、中米の灼熱を伝えるロケ撮影とその堂々たる構図、カッティングの妙が、骨太の人物伝そのものより印象的だったりする。もちろん、ブランドは労務者から、パンチョヴィラらに指名され、大統領にまでのし上がる英雄を力強く演じ、オスカーを獲ったA・クインの人なつっこい兄役(これをサパタは殺さねばならなくなる)共々申し分ない出来なのだが…。結局、同志フェルナンドの裏切りで先述のように蜂の巣になるサバタ。その妻を演じるJ・ピータースの野性味に溢れた美しさも忘れられない。<allcinema>

◎革命の戦士ではあるがまだ身分のないサパタには娘をやれぬという親爺が、サパタが将軍になると手の平を返すように娘を提供する。あまりの豹変ぶりに何度も巻き戻してあの娘とこの娘が同一人物であることを確認してしまった。嫁取りの儀式としての諺の応酬の面白さはあったが、それもどこか白けてしまったのだった。サパタの野性味が文字を獲得するとともに薄れて行き、仲間で唯一文字を読める男の裏切りにあい、同じ無文字の境遇にあった兄貴を殺し、最期は参謀役の頭が切れそうなグリンゴの裏切りで罠に落ち、集中砲火を浴びて死ぬサパタ。文字など学ばず、こんな女を嫁にせずに野生児でいたら、おそらくこんな死に方はしなかっただろうと思えて、監督のカザンと脚本のスタインベックに参謀役のグリンゴの冷ややかな眼差しを感じたのは思い過ごしだろうか。呑気呆亭