6月13日(木)「田舎司祭の日記」

田舎司祭の日記」('50・仏)監督・脚本:ロベ−ル・ブレッソン 原作:ジョルジュ・ベルナノス 撮影:レオンス=アンリ・ビュレル 音楽:ジャン=ジャック・グリュ−ネンヴァル 出演:クロ−ド・レデュ/ジャン・リヴィエ−ル/ニコル・ラドミラル/マリ=モニ−ク・マイケル・バルベトレ
★孤高の映画詩人ブレッソンの表現が精神の極みへと向って行く姿勢は、このごく初期の作品にも端的に見られる。それは悩み深き若い司祭を主人公にしているという表層からでなく、その懊悩を突き放すように客体化する、怜悧なまでの映像の力によって痛感させられるのだ。田舎司祭を取り巻く人々の聖と俗に揺れる姿が、彼の信仰にどう関わり、彼が自らどのような答えを出して行くかが、正に日記を綴る描写を挿し挟みながらスケッチされて行くが、彼は次第に懐疑的にならざるをえなくなり、健康をも害してしまう。ブレッソンのどの映画を見てもそうだが、描写の余りの潔癖さに、他のイメージに置き換えながら(詰まり自分流の翻訳をしつつ)見たくなるほど、純度の高い映画だ。
<allcinema>

ブレッソンの「抵抗」「スリ」「ジャンヌダルク裁判」は以前に劇場で見たが、この作品は初見。カトリックの国フランスの片田舎の教区を預かる若き司祭の苦悩がリアルなモノクロの映像で描かれるのだが、カトリック信者ではない者としては、彼の苦悩に感情移入することが難しい。若き司祭を演じる(?)クロ−ド・レデュのいかにも暗い表情と克明に心境を綴る筆跡の映像との繰り返しのしつこさに、彼の「単純さ」を怖れ憎む村人の気持ちと同様な苛立ちを覚えさせられる。恐らくブレッソンにしてみればそれは計算の内にあったのだろう、若き司祭が村人の白眼視に苦しみながらも伯爵夫人に遂に魂の平安を与えるまでに至るもがきを、それを目撃する我々の側にも要求するかのように、映像とモノロ−グをこれでもかこれでもかと呈示し続けるのである。その「単純さ」に驚嘆し辟易しつつ、若き司祭の問いかけは遂に虚しかったのではないかと疑いながらも、これほどの思索的な映画を作ってしまう西欧という伝統の凄さと、翻って何ごとも情緒に流して「詠」ってしまうこの邦の伝統のことを思わざるを得なかった。呑気呆亭