11月24日(土)「わが谷は緑なりき」

わが谷は緑なりき」('41・米)製作:ダリル・F・ザナック 監督:ジョン・フォ-ド 脚本:フリップ・ダン 撮影:ア−サ−・ミラ− 音楽:アルフレッド・ニュ−マン 出演:ウォルタ−・ピジョン/モ−リン・オハラ/ロディ・マクドウォ−ル/ドナルド・クリプス
★19世紀末、ウェ−ルズの炭鉱地帯のある村に住んでいた一家の運命を回想形式で綴った物語。「怒りの葡萄」に続いてザナックが個人的に製作したフォ−ドの文芸映画。当初サウス・ウェ−ルズのオ−ル・ロケが決まっていたが、第二次大戦のため、計画は放棄され、かわってサン・フェルナンド渓谷に80エ−カ−の村がそっくり建てられた。家族が次々に死に、姉は不本意に嫁ぎ、自分は学校でいじめられ…というように、語られる出来事は陰惨で不幸なことばかりだが、それを回想する主人公の記憶の光景はあくまで美しく、フォ−ドの語り口はリリカル。ト−ンをおとし、一部分だけ強い光をあてる画面作りで視覚的にも磨き抜かれている。アカデミ−賞の作品賞、装置賞、美術賞、そして父親役のD・クリプスが助演男優賞を獲得している。(ぴあ・CINEMA CLUB)

◎過去に製作された映画をサイレント作品から順を追って見て来ると、その内の幾つかの作品が既に「神話化」しているように感じられる。このジョン・フォ−ド作品もその内の一本で、家族の末っ子であるヒュ−の回想から物語は始まって、冒頭のシ−ンで丘の上に父親と立つヒュ−に姉が“ヒュ−−イ”と呼びかけ、ヒュ−が“アンハラ−ド”とまるでアルプスに響くヨ−デルのようなボ−イソプラノで答える。この「アンハラ−ド」という不思議な響きの名前と、この姉を演ずるモ−リン・オハラという女性の一種人間離れした中性的な美貌と佇まいが、この作品の「神話化」を決定する。夫婦と六男一女の汗と埃にまみれる労働を神聖なものとする家族の団欒の描写は、失われた「家族」というモノの原型を奇跡的に描いて、見守る者に不思議な涙を催させる。その家族が資本の論理によって崩壊する。資本家の賃下げに対してユニオンを作って対抗しようとする息子たちに向かって、家長たる父親は“我が家の息子たる者が「ソシアリズム・ナンセンス」を語ってはならない”と言ってしりぞける。悲劇はここから始まり、「神話」は英雄たちの彷徨と死によって完結する。興味深いのはその後のアンハラ−ドの成り行きと、家族の崩壊からなお四十年弱をこの谷で過ごしたヒュ−の生活がいかなるものであったかということだが、フォ−ドはそのことについては一言も語ろうとはしていない。呑気呆亭