7月17日(火)「江戸の悪太郎」

「江戸の悪太郎」('59・大映京都)監督:マキノ正博 脚本:比佐芳武 出演:嵐寛寿郎/轟夕起子/志村喬/
★雪深い山里の姫浪乃(轟夕起子)は、望まぬ婚礼を前に逃げ出す。一方江戸で寺子屋を開く浪人島崎三四郎嵐寛寿郎)は貧乏長屋の子供たちの面倒を見ていたが、ある日弥一(宗春太郎)が行き倒れ同然の浪乃を三四郎のもとに連れてくる。浪乃は15歳の少年三吉と名乗り、島崎のもとで暮らし始める。そんなある日、弥一の母お栄(星玲子)が借りた一両を弥一が落とし、弥一は行方をくらませる。お栄は弥一の行方を知りたいと、邪教の教祖道満(瀬川路三郎)を頼るが、道満はお栄をたぶらかし、お栄は橋から身投げをするのだった。さらに道満は悪行を隠そうとして長屋一帯を高値で買い、宗教道場を建てようとする…。

◎マキノ監督という人はアメリカ映画でいえばハワ−ド・ホ−クスのような職人作家で、何を観てもまずハズレがない。題材を選ばず娯楽に徹してチャンバラ(西部劇)から歌謡映画(ミュ−ジカル)から現代劇まで何でも作って観客を楽しませてくれる。
この映画もまさにマキノの真骨頂!マキノが描くと江戸の長屋の景色と住人達がさもあろうと思わせるリアルさを持つ。画面の隅々にまで作家の目が行き届いているので、何度も見直して、主役の動きから目を移して背景に動く人々やセットや小道具をそれこそ舐めるように見て楽しむという、実に映画を観る醍醐味を味あわせてくれるのだ。

嵐寛寿郎はじめ出演者はみないい味を出しているのだが、この映画の白眉は何と言っても浪乃を演ずる轟夕起子である。嫁に行く年齢の娘につんつるてんの着物を着せて少年の役を演じさせるという、かなり無理な設定なのだが、轟の美しさがけなげなので観る者はある種倒錯したエロティシズムを感じて納得してしまう。

悪党との乱闘で怪我をした嵐寛寿郎(まだ若い)の所に乙女に戻って白無垢姿で現れる轟夕起子の艶麗さには思わずゾッとさせられたのだが、ここでの寛寿郎の目の演技と、轟夕起子のその目と目を見交わして恥じらいながら俯く所なんざあ“マキノ監督、参りやした”と言う他はない名場面でありました。呑気呆亭