10月21日(火)「デルス・ウザ−ラ」

「デルス・ウザ−ラ」('74・ソ連)製作:ニコライ・シゾフ/松江陽一 監督・脚本:黒澤明 原作:ウラジミ−ル・アルセ−ニェフ 脚本:ユ−リ−・ナビ−ギン 撮影:中井朝一/ユ−リ−・ガントマン/フョ−ドル・ドブヌラボ−フ 出演:マキシム・ムンズ−ク/ユ−リ−・ソロ−ミン/スベトラ−ナ・ダニエルチェンコ/シュメイクル・チョクモロフ
★精魂込めて準備中だった『トラ・トラ・トラ』の流産と、自殺未遂事件を経て、文字通り自らの命を懸けて制作した『どですかでん』を低予算(撮影期間28日)で仕上げたものの赤字をだし、映画会社からは干され、クロサワを神格化しようとする連中は懐古主義に走っていた。それが本作制作当時の日本の状況である。

原作は20世紀初頭の帝政ロシアで、シベリアのウスリー地方の地図製作の探検調査に行ったアルセーニエフの書いた実話。それを日本語に翻訳したのは満州鉄道調査部所属の長谷川四郎。1942年に満州事情案内所なる所から小部数出版。それを助監督時代の黒澤明が読み、いつか映画化することを考える。51年の『白痴』の後で久板栄二郎に依頼して北海道を舞台にした脚本を作るも、上手くいかず。そして時を経て、『どですかでん』のモスクワ映画祭出品を契機にソ連側から映画を作らないかと勧められ作られたのが本作である。つまり30年間、映画化を考えてきて遂に実現したのです。(ソ連での制作を勧めた映画人にはサイレント時代からの監督でシェイクスピア研究家のグリゴーリ・コージンツェフもいて、映画祭終了後に黒澤の『白痴』を観て「こんなにドストエフスキーをよく分かっている人が日本にいるのか」と感激したそうです。しかしデルス撮影のために黒澤が再訪ソする前に死んじゃったそうです。泣ける)本作の制作に関し、とても苦労したという話がありますが、言葉の違い・制作システムの違い・シベリアの自然を相手にした戦いが主なものであり、ソ連側から映画製作を勧めた経緯からも分かるように、ロシア側は非常に協力的で、モスフィルムでは偉大な監督が来たといって大歓迎。ロケ場所の(アルセーニエフを記念して作られた)アルセーニエフ市では市をあげた協力体制だったそうです。当時ソ連は映画製作の創造面で刺激・活性化を求めており、創作意欲はあったが資金面で映画が撮れない黒澤を日本から引っこ抜いたわけです。

原作が探険記、自伝小説であり、映画にもアルセーニエフのナレーションが入るが、脚本ではデルスを主人公とした客観的な視点が含まれている。そして、その脚本の決定稿と映画本篇を比較すると異なる部分が多い。第一に編集段階で切ったのではと思える所があること。しかし、それは映画本篇を冗長にしないためと、ソ連側との契約で上映時間を150分以内にしなければいけなかったことが原因だと思う。第二に撮影現場で変更されたと思われるシーン。物理的に、または映像的に上手くいかない部分が変えられている。射撃の的が水鳥から空ビンに変えられているなど。(この変更の良いところは当時ウスリー地方ではガラスが稀少で価値があったという事実ともリンクしてくる点だ。)第三に人物描写が映画として現実的になっていること。ここが黒澤の凄いところだと思うが、例えばラストのアルセーニエフにはセリフがあったが、映画の中では悲しみのなかで言葉が出てこない様子が描かれている。これが『影武者』『乱』へと続いていく悲劇色の強い映画にしていると思う。

個人的にも名シーンの多い映画だと思うし、まるで森に生えているキノコのようだと黒澤が形容したデルス役の俳優が良かった。原作もとても魅力のある作品なので読んでみることをおすすめします。

トリビア
脚本の翻訳にはロシア小説の翻訳で御馴染みの原卓也が加わっている。
エンドクレジットで流れる歌はシベリアのコサックの歌。デルス役には当初、三船敏郎を予定していた。(別の映画になりそう:笑)
本作はアカデミー外国語映画賞を受賞しているが、アメリカでの配給は当時ソ連とのパイプがあったロジャー・コーマンであった:絶句。

参考文献
『デルスー・ウザーラ 上下巻』アルセーニエフ著 長谷川四郎
                          河出文庫
キネマ旬報 増刊5.7号 黒澤明ドキュメント』 キネマ旬報社
<allcinema=Bava44>

◎これは黒澤明が世に残した最良の作品ではないかと思う。シベリアの景色を映したキャメラが素晴らしく、いつもの説教臭もなく坦々と物語が綴られて行くのだが、その功績はデルスを演じたマキシム・ムンズ−クとカピタンのユ−リ−・ソロ−ミンの好演と、何よりもシベリアの風土がクロサワの感性にピタリと嵌まったからだったのではなかろうか。こんな素敵な映画を製作しようとした松本陽一さんとキャメラ中井朝一さんお二人の日本側スタッフの苦労と働きに敬意を表します。呑気呆亭