4月9日(水)「東京流れ者」

東京流れ者」('66・日活)監督:鈴木清順 原作・脚本:川内康範 撮影:峰重義 照明:熊谷秀夫 美術:木村威夫 音楽:鏑木創 出演:渡哲也/松原智惠子/吉田毅/二谷英明/川地民夫/郷硏冶/江角英明
★前年にヒットした同名歌謡曲をモチーフに、川内康範が原作・脚本を、鈴木清順が監督を務めたアクション映画。任侠映画風の新潟編、コメディ風の北九州編、そしてハードボイルド風の東京編という、趣向を凝らした構成となっている。本堂哲也はヤクザ稼業から足を洗い、恋人の千春と結婚する決心をしていた。哲也は自分が属する倉田組の組長が、金融業の吉井という男からビルを担保に金を借りていることを知る。彼は吉井に会い手形の延期を申し込むが、吉井は倉田組と敵対する大塚組に脅され権利書を奪われたあげく、殺害されてしまった。<allcinema>

☆これは1966年に日活が製作した、新人の頃の渡哲也が主演する歌謡アクション映画です。やくざ稼業から足を洗った主人公の哲也(役名もおなじ)が心ならずも都内の商業ビルの利権をめぐる抗争に巻き込まれていくという物語の展開は、このジャンルにありがちなパターン。

 おそらく、野口博志あたりが演出していれば、ありきたりの日活プログラムピクチャーが普通にできあがったことでしょう。のちにカルト作品に認定されることもなく、そのまま忘れ去られていたかもしれない。

 ところが、異能監督の鈴木清順がやりたい放題の演出でおもいっきり遊んでしまったおかげで、こういうハチャメチャなとんでもない作品が誕生してしまった。鈴木清順ファンなら、もちろん必見。そうでない人は、他のもっとわかりやすい鈴木清順の娯楽作品に親しんでから観てもけっして遅くはないとおもう。

 なかには〈清順歌舞伎〉と揶揄する人がいるほど、型破りで派手でナンセンスな演出の凝りかたをいたるところで炸裂させています。細部はやたらと人目を引いて痛快なのに、作品の全体像がぼやけていて娯楽映画としてはできそこないになってしまった。ストーリーの辻褄あわせなんか、もうどうでもよくなっている感じですね。文字どおりの怪作。

 原作とシナリオは『月光仮面』『愛の戦士レインボーマン』でおなじみの川内康範が手がけました。試写を見て烈火のごとくに怒り狂う康範センセーのおすがたが目に浮かぶようで、お気の毒。完全にコケにされていますね。でも、どうってこともない凡庸なプロットだからなあ。いろいろアレンジしたくなった鈴木清順の気持ちはわからぬでもない。

 清順組の製作スタッフはそれぞれ持ち味を発揮しています。特にすばらしいのは木村威夫の美術装置。柱とピアノくらいしかない、がらんとした撮影所のスタジオ空間そのまんまのナイトクラブ。ゴーゴーを踊っている男女の脚がみえる硝子張りの天井の事務所。庄内のだだっ広い畳敷きの日本家屋。マルクス兄弟みたいなドタバタ活劇で板がぺろんとはがれてぼろぼろに崩壊していく佐世保の酒場。安っぽさを逆手にとってみごとに活かした、といっては褒め殺しか。

 それから、峰重義の撮影、熊谷秀夫の照明。めくるめく色彩の魔術に幻惑されます。銃声一発で背景のいちめんの硝子の色が一変してしまう。摩訶不思議な緑色のライティングの酒場。雪景色のなかの赤い提灯や赤い郵便ポスト。驀進して来る蒸気機関車の線路のうえでの殺し屋との対決。最後のアクロバット的な果たし合いと白い回廊。意味不明なカット割りは上手につながっていなかったりするけど、それもご愛嬌。鏑木創音楽。ハーモニカの哀感が陳腐だけど効果的。
 
 誰もが将棋の駒みたいに薄っぺらで感情移入しにくい登場人物たち。監督はどの役柄にもたいして思い入れがなさそう。不死鳥の哲(渡哲也)、流れ星の健(二谷英明)、マムシの辰(川地民夫)など、ひょっとして別の役者に置き換えてみたところであんまり違いがなかったかもしれない。哲也の恋人でクラブ歌手の千春(松原智恵子)の存在も影が薄かったっけ。松原智恵子の口の動きが唄とまったくズレていることにも、いっこうに無頓着。こういうところはじつに大雑把。いかにも鈴木清順らしいか。

 出番は短いですが、脇役の事務員の睦子を演じていた浜川智子は、私のお気に入りのお色気女優。なつかしい顔。漫画雑誌を読みふけってげらげら笑っていました。ただそれだけなんだけど、ヒロインの松原智恵子よりも妙に印象に残ってしまうのはなぜだろう。のちに改名してTVの『プレイガール』の浜かおるになりました、といえば憶えている人が案外いるんじゃないかな。<allcinema=シネマA>

◎上掲のシネマAさんのコメントに付け加えるモノはワタクシにはない。日活の藤林甲さん以来の照明の技をこれほどにメチャクチャ自在に駆使した作品は他に知らないが、余りのことに目が眩んでしまったのだった。呑気呆亭