4月4日(木)「ドイツ零年」

「ドイツ零年」('48・伊)製作・監督・脚本:ロベルト・ロッセリ−ニ 脚本:カルロ・リッツァ−ニ/マックス・コルペット 撮影:ロベ−ル・ジュイヤ−ル 音楽:レンツォ・ロッセリ−ニ 出演:エドムンド・ムシュケ/エルンスト・ピットシャウ/インゲトラウト・ヒンツ/フランツ・グリュ−ゲル
★戦後のネオ・レアリスモ紹介の気運に乗って、本作も製作後まもなく日本でも公開されたが、その時には正当な評価を受けずじまいで、大戦に対する歴史観がしっかと形成されてきた近年のリバイバルで、ロッセリーニの前衛ぶりはようやく理解された。第三帝国滅亡後、廃墟となったベルリンを徘徊する13歳の少年エドムンドは、間借りの部屋に病身の父と、身を売って生計を立てる姉と共に暮らし、自分もいくらかの足しにと小銭稼ぎをしていた。軍隊にいた兄が帰還するが、ナチ党員であったことを表沙汰にするのを恐れ、閉じこもってばかりいる。ある日、小学校時代の恩師に会うが、彼は旧軍人の家に寄生虫のように住みつき、未だナチの弱肉強食の理論を振りかざし、エドムンドに父親の毒殺を示唆する。少年はそれを実行してしまうが……。たぶんにセンセーショナルな主題を冷徹なタッチで表現。父殺しの場面のスリル。その後、少年が絶望の町を彷徨するシークェンスの空間把握。やるせない孤独感が観る者を胸をえぐる。<allcinema>

◎この映画は語るには辛過ぎる。明らかにゲルマン民族の風貌を持つ少年やその家族がイタリア語でしゃべりまくることに違和感を覚えながら、実景である爆撃によって無残に破壊されたベルリンの光景に息を呑み、次第に貧しさのおぞましさと、貧しさ故に引き起こされる悲劇に引き込まれて行った。しかし、まだ戦争の傷跡が残るベルリンでいかにもはかなげな手足を持った少年の悲劇と孤独を、これほどまでにリアルに描こうとしたロッセリ−ニの意図は奈辺に在ったのか。少年愛を暗示させる描写の多用も含めて、路頭に立ち竦む少年の絶対の孤独に感情移入しながらも、見終えて後味の悪いモノを感じざるを得なかった。呑気呆亭