2月26日(火)「浮雲」

浮雲」('55・松竹)監督:成瀬巳喜男 原作:林芙美子 脚本:水木洋子 撮影:玉井正夫 美術:中古智 音楽:斎藤一郎 出演:高峰秀子/森雅之/加東大介/岡田茉利子/山形勲/中北千枝子
成瀬巳喜男監督の代表作であり、世界映画史に燦然と輝く名作中の名作。原作は成瀬がその出世作「めし」(‘51)「稲妻」(‘52)「妻」(‘53)「晩菊」(‘54)とたて続けに映画化して成功した林芙美子の同名小説で、やはり成瀬との名コンビを誇る女流の水木洋子が脚色。
戦時中、赴任先のインドシナで愛し合った妻ある男を追って引き揚げてきたゆき子は、次から次へと女を変える相手の自堕落さに、一時は外人相手の娼婦にまで身を落すが、別れることができない。ふたりで新しい生活を始めるべく旅立った小島でゆき子は男に見とられながら病死する…。
起伏の激しい物語展開でありながら、成瀬の冷徹な対象凝視の姿勢は一貫しており、主人公を演じる高峰、森の緊張感みなぎる絡み合いをとらえて、その演出スタイルはひとつの頂点に達したといえる。地の果てまでも男を追うヒロインは、映画が描き得たもっとも鮮烈な女性像のひとつであり、女優・高峰秀子の名は永遠に映画史に刻まれた。小津安二郎の言葉“俺にできないシャシンは溝口の「祇園の姉妹」と成瀬の「浮雲」だ”はあまりにも有名。(124分)

高峰秀子という俳優さんのエロキュ−ションは実に独特で、時に投げやり時にエロテイック時に純真、こういえばセクハラめくが子宮から発せられるような根源性を響かせる。その特性を最大限に成瀬はこの作品で引き出した。女にだらしのない男(森)に理性では抗えぬ情念に衝き動かされて纏わりついて行く女ゆき子。女にだらしはないが根っからの悪党ではなく、米兵のオンリ−になったゆき子の変貌ぶりに「幸福そうだね…」などと際どい毒舌を吐きながらも、困っているんじゃないかと幾ばくかの金銭を都合してくるという、複雑な性格の富岡という難役を森雅之は見事に造形する。志賀直哉の「暗夜行路」をかつて或る文芸評論家は“これは優れた恋愛小説である”と喝破したが、今回何度目かの見直しで初めてこの映画が男と女の「恋愛」というものをかつてなくこれからも無いであろう深さで描き切った「恋愛映画」の傑作であることを、目から出る汗と共に認識させられたのだった。呑気呆亭