5月19日(土)「街の灯」

「街の灯」('31・米)監督・主演:チャ−ルズ・チャップリン 出演:バ−ジニア・チェリル/フロ−レンス・リ−
★この作品の製作中に、ハリウッドではサイレントからト−キ−へと移っていった。しかし、チャップリンは当初の予定通り無声映画のスタイルを崩さず、最終的に音楽とサウンドエフェクトを入れた、いわゆるサウンド版として完成させた。街の放浪者チャ−リ−と盲目の花売り娘の話である。(ぴあ・CINEMA CLUB)

◎手持ちのコレクションでは、1915年の「寄席見物」ではまだドタ靴にくたびれたモ−ニングというチャ−リ−のスタイルを確立してはいないが、1917年の「移民」では、貧しい移民に扮したために服装的には後年のスタイルになっている。しかし、その演技はペ−ソスを漂わせた街の放浪者のものではなく、普通にギャンブルではイカサマをやるし、ヒロインのエドナ・パ−ヴィアンスにはぞっこんといった風で、積極的なアタックを展開する極めて楽天的なキャラクタ−を残している。

1913年にアメリカでマック・セネットの目にとまり、週給150ドルでキ−ストン・ピクチャ−ズ・スタジオに入社し、翌1914年に36本の映画に出演して人気者となり、1915年、シカゴのエッサネイ・スタジオに週給1250ドルで移籍、14本の短編(「寄席見物」を含む)に出演、エドナ・パ−ヴィアンスと共演。1916年、週給1万ドルにボ−ナス15万ドルという破格の契約金でミュ−チュアル・フイルム社に移籍するという、あれよあれよという感じの躍進ぶりを示す。この'15年から'16年という時期がチャップリンにとっての画期となったのではあるまいか?

「移民」('17)で、チャップリンが船でニュ−ヨ−クに着いて最初に「自由の女神」を見た時の“フン!”という表情は、貧しいながらにしたたかな反骨心を感じさせるものだった。思うに、この「反骨」がチャップリンの性根を形成していて、初期にはそれをもろに出すことで人気を得たのだったが、人気者になり裕福になったことで、その性根をもろに出すことは大衆に受け入れられないだろうと考えて、ドタ靴にくたびれたモ−ニングというスタイルを自分のものとしたところに、チャップリンの天才的な直観があったのではないだろうか。

ちなみに、この「街の灯」について言うと、盲目の娘の眼の治療費を稼ごうとしてチャ−リ−が賞金付きの拳闘に挑むシ−ンは、‘15年の「拳闘」にその原型があるのだが、ここでそのギャグは完成されていて、分ってはいるのだが何度見ても可笑しい。例えば明日この世界が崩壊することが分かっていても、この「拳闘」のシ−ンを見れば腹をよじって笑ってしまうことだろう。呑気呆亭