2月6日(木)「第七の封印」

「第七の封印」('56・スエ−デン)監督・脚本:イングマ−ル・ベルイマン 撮影:グンナ−ル・フィッシャ− 音楽:エリク・ノルドグレン 出演:マックス・フォン・シド−/グンナ−・ビョルンストランド
★騎士アントニウスマックス・フォン・シドー)は十字軍の遠征を終え、従者ヨンス(グンナール・ビエンストランド)を従えて、十年もの苦戦と長旅に憔悴していた。懐疑的になっていた彼に死神が訪問する。死期が迫っていることを悟るが、死神にチェスの試合をいどみ、勝負がつくまで生命の猶予を乞うた。彼等の行く手には、疫病がはびこり、邪教は跳染していた。彼は神の存在というもの、啓示を求めたが、祭壇にひざまづく度に死神に邪魔された。帰途につく彼等の前に、手品師の夫婦ヨフ(ニルス・ポッペ)とミア(ビビ・アンデショーン)が現われたとき、アントニウスは彼等の素朴さの中に生への希望を見た。途中アントニウスは魔女の処刑を目撃し、またも懐疑的になった。そして、死神というものが、“悪”に対して、“善”のものよりも、より残酷に積極性を示すことを知り、ようやく生と死の意味を多少とも知ることが出来た。森のはずれで、死神とのチェスの試合はつづく。だが、手品師夫婦の命を狙っていると知った騎士は、駒を乱して死神の気をそらし、助けてやった。夜道は嵐になり、すさまじい風の唸りとともに死の影が通りすぎた。一行はアントニウスの家にたどりつき、一同のささやかな食卓を囲んで祈りを始める。「而して小羊、第七の封印を解き給いたれば……」そのとき、音もなく死神が現れた。彼らは思い思いに死の意味を悟り、その訪れを敬虔に迎え入れた。死神に導かれて手をつなぎ踊りながら昇っていく騎士達の姿をヨフは眼のあたりにみた。(goo映画)

★第7の封印が解かれるとき 人類は滅びる 天使のラッパとともに

このページでは、エル・グレコ「第5の封印」との関連で、そのモチーフとなった「ヨハネの黙示録」のあらすじ・ストーリーについて簡単にふれてみたい。
新約聖書の最後に配され、人類の滅亡と最後の審判について語る「ヨハネの黙示録」。エーゲ海に浮かぶギリシャの小島パトモス島で、聖霊によって導かれたヨハネが、この世の終末に起こるであろう出来事の幻を記述した預言書的書物。
ヨハネはパトモス島で、7つの角と7つの目を持つ小羊(子羊)イエスを目にする。小羊は封印された7つの巻物を神から授かると、その7つの封印が一つ一つ解かれる度に、戦乱や飢餓、疫病などのわざわいが地上に降りかかり、最後の封印が解かれ人類は滅亡する。
その後救い主メシアが地上に降臨すると、殉教者はよみがえり、最後の審判が開始される。
ミケランジェロ最後の審判」〉
ヨハネの黙示録」第6章 7つの封印

ヨハネの黙示録」第6章には、7つの封印について次のような内容のストーリーが展開する。
第一の封印

小羊(イエス)がその七つの封印の一つを解いた時、わたし(ヨハネ)が見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
第二の封印

小羊が第二の封印を解くと、今度は、赤い馬が出てきた。人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、大きな剣(つるぎ)を与えられた。
第三の封印

第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、黒い馬が出てきた。乗っている者は、はかりを手に持っていた。
第四の封印

第四の封印が解かれると、青白い馬が出てきた。乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、剣、飢饉、死、そして地の獣らと人を殺す権威が与えられた。
第五の封印

小羊が第五の封印を解いた時、祭壇の下にいる殺された人々の霊魂が叫んだ。
「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられた。
エル・グレコ 第五の封印〉
第六の封印

小羊が第六の封印を解いた時、大地震が起り、太陽は毛織の荒布のように黒くなった。月は血の海となり、天の星は地に落ちた。天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
第七の封印

小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかりの静けさの後、神の御前に立っている七人の御使いに七つのラッパが与えられた。七人の天使によるラッパは次々と天変地異を引き起こした。
その後、七人の天使が神の怒りの満ちた七つの鉢を受け取ると、七つの鉢は地上にぶち撒かれ、多くの禍がもたらされた。
そして最後の審判が始まる。

◎ワタクシの教養ではこの映画の寓意を本当に理解することは出来ない。ベルイマンにとって「神の存在・非在」は切実な問題だったのだろうが、世界史を見渡してもこの「宗教」というやつがどれほど凄惨な闘いをニンゲンたちに強いてきたかを思うと、「神=悪魔」というやつの底知れない悪意を思わざるを得ないのだが・・・。呑気呆亭